人生を振り返ってみる 2人育児 子連れ海外旅行
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目次
2人目育児の辛さ
次女出産後3カ月間が本当に大変だった。
夏直前に生まれた次女、まだ首が座らず外も暑くなってくる時期で 自由に出られない日々が続いた。
2カ月間実家にお世話にはなったが、正直もっと早く帰ってもよかった、と思う。
パパと会えないこと、たまに会えてもパパがすぐに帰ってしまい、よく泣いていた。
2カ月後、私達は自分たちの家に帰り、新しい家族が一人増えて新しいで生活をスタートさせた。
1歳9カ月差、というのもあるのだろう。
イヤイヤ期というのもあるのだろう。
そして、自分の気持ちをどう表現していいのかわからない、というのもあっただろう。
とにかく、大変だった記憶しかない。
一日どうやり過ごしていたのかよく覚えていない。
・階段から長女を突き落としそうになったこともある。
・押し入れに閉じ込めたこともある。
・好き嫌いの激しい長女、「○○いる」といって口にいれると吐き出し
泣き出す長女。「自分が食べたい!っていったんでしょ!」と口に無理やりいれたこともある。
・涼しくなってきた夕方、長女を散歩に誘うと「いきたくない」というので
家に置いて、次女と散歩に出かけたこともある。帰ると疲れたのか布団の上で寝ていることもあった。
・毎日、あと1年くらい顔を1みなくていい!と思っていた。
今振り返ると、育児ノイローゼにかかっていたのかもしれない、と思う。
子供虐待のニュースを見る度に、自分も他人事ではないと思っていた。
飛び越えてはいけない境界線、これだけはしてはいけない、とまだ自分を抑え込む余裕はあった。
ダンナが育児に積極的で、ダンナが帰ってきたら長女のお世話はすべてお願いしていた。
あの時の自分に言いたい
「大丈夫、泣いている目の前の子をただ抱きしめてあげればいいんだよ
泣いているその気持ちを受け止めてあげて」
受け止める自分の余裕をどう作ればよかったのか、その時は必死だから
わからなかった。
でも数々の私をイライラさせた長女の行動の裏には、長女なりの主張があったんだと今改めて思う。
初めての子連れ海外旅行
長女2歳8カ月、次女10カ月の時、ダンナの家族に会いにダンナの家族が住むカリブ海マルティニーク島に行った。
子供が産まれて、初めての海外旅行。
次女が1歳になるまで待ったらいいんじゃないか、と思ったけど
ダンナの仕事が落ち着く4月に合わせて旅行の計画を立てた。
今思うとこの時、タイミングを逃さずに思い切ってダンナの家族に会いにいって本当によかったと思う。
日本~マルティニーク島 移動時間 2日
家を出てからマルティニーク島に着くまで何度バス、電車、飛行機にのったことか。
小さい子供を連れての移動は想像以上に大変だった。
一番しんどかったこと
小さい子供、重いスーツケース、バックパックを抱えての移動だ。
抱っこ紐で次女を抱き、後ろのバックパックリュック、手にはスーツケース。
乗り換えの北京の空港では乗り換え時間が30分もなくて、重い荷物を抱えて
走った。
マルティニーク島に着いた瞬間、一気に緊張感が抜けたのを覚えている。
子供たちの2つのルーツ
子供たちはもう1つの自分の国をとても気にいったみたいだ。
子供に国境、人種という概念は全くない、
言葉が通じなくてもお友達になれる。
すっかりおばさんとも仲良しになり、
マルティニークの文化、食べ物、言葉、風景、人
目に入るすべての物事、聞こえるすべての音に子供たちは刺激を受けたはずだ。
マルティニーク島にきて、改めて感じたこと
それは子供たちには国の違う家族が2つある、ということだ。
ダンナの親戚に会い、初めてみる日本の血が半分入った子供たちを本当に暖かく迎えいれてくれた。
世界各地に住んでいるダンナの家族。
親戚一同が集まる機会が何年かに一度あるらしい。
コロナウィルスでいつ海外に出れるか分からない日々が続いているが
いつかまた必ず、子供たちをマルティニーク島に連れていってあげたい。
まだ小さいからわからないと思うけど、もう少し大きくなれば、
自分のもう1つのルーツについて、意識することになるし、興味を持ってほしいと思う。そして将来、2つのルーツを持っていることに誇りに思ってほしい、とマルティニークの家族に会って思った。
日本に帰国後・・・
長女、次女保育園に入所
日本から帰国してすぐ、私は仕事探しを始めた。
マルティニーク島から帰国して2カ月半後、子供たちは保育園に入所。
長女3歳1カ月、次女1歳5カ月だった。