papaiyamangoのブログ

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朝散歩の効果とは?

梅雨明けたので、久しぶりに朝散歩に行きました!

朝散歩の効果にびっくり!!

 

 

 

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いつもの散歩コース

目次

 

 
 

朝散歩が好きな理由

都会にすんでいる頃から朝散歩が好きでした。

 

朝散歩が好きな理由

理由① 誰もいない静かな町を歩く事で爽快感が得られる

理由② 朝早くから活動することで、一日のリズムがつく

理由➂ 朝歩く事でいい具合にお腹がすき、ご飯がさらにおいしく感じられる

理由④ 何も考えず、いつもは気にしない景色や町の風景をみながら歩く事で

    新しい発見がある。

 

移住してからは特に、自然の中をただ歩くだけの朝散歩のセラピー的な効果を感じています。

セラピー(therapy):薬や手術を使用しない治療法

 

我が家は回りが山で囲まれているので、太陽が昇る前に家を出ると

山の頂上からご来光が見えたりします。

 今朝は5時30に家を出たので、既に太陽は昇りかけていました。

梅雨明け初の朝散歩は久しぶりだったからかとても気持ちよかった!!

 

ただ、自然の中に身をおいて目を閉じて,思いっきり深呼吸してみるだけで

自然のエネルギーがもらえる様な気がします。

 

 

朝散歩の効果

 

 セロトニンて知ってますか?  

(私は初めて聞きました)

 

セロトニン = ストレスに対して効用のある脳内物質。精神の安定、直観力を上げる、脳を活発に動かす。

朝起床後30分以内に15~30分位、日光にあたることで増えていく。

 

幸せになるために必要な脳内物質!

 

自分が朝散歩が気持ちいいと思っていたのは、私だけではなく

科学的に実証されているみたいですね。

 

 

セロトニン分泌を促すもの

 

太陽の光を浴びる

②リズミカルな運動(歩行運動、食事時のそしゃく、意識的な呼吸)

➂食事 (乳製品、大豆製品、ナッツ類、バナナ等)

④睡眠

感情を動かす 

 人に会う → 心が動かされる経験

 本、映画などを見る → 感動する、芸術に触れる

 

  朝散歩でなぜ、こんなに気持ちがいいのか、今日しっくりきました!

 

セロトニンを沢山分泌できる生活をすれば、私達はハッピーに生きられるってことなんですね!

太陽の光を浴びて

色んな人に会って、その人たちから刺激を受けて、

色んな物を見たり、聞いたりして心を動かされる体験をする

 

 

・私の見解で勝手にセロトニンを増やすんじゃないかと思う物は

旅をする

人に出会う、知らない土地に行き初めて見るものに感動する  

感情を促す、という点では旅は心の栄養を沢山与えてくれます。

コロナ渦で今遠くへ行くことはあまりできないけど

ちょっと足を延ばして、少し遠くまで行き見た事のないものに触れる

これだけでもセロトニンが増えるんじゃないでしょうか?

 

 

 

セロトニンを増やすもう一つの方法

 

朝散歩が精神の安定に保つ脳内物質、セロトニンを作ってくれる、というのはわかったんですが他に私が「わかる!!そうだよね!」って思ったことがあります。

それは

日常的に喜怒哀楽の感情をなるべく引き出す様に意識する

 これもセロトニンを分泌するのに必要みたいなんです。

 

↑ これ、けっこう大切だと思います!!

 

例えば、同じことを繰り返す、機械的な仕事を朝から晩までやっていると

思考が停止して、だんだん悲しくなってきます。(過去に体験あり)

そう、喜怒哀楽の感情を必要としないこと。

無感情な一日を過ごし、一人暮らしだと段々精神的に追い込まれます

(これも過去に体験済)

↑ こういう状況になってしまったら、一度その場から逃げる、でもいいんじゃないでしょうか?まだ次に行動できる力が残っているうちに。

私はこの方法で、次に進めました。

 

まとめ

 

セロトニンを増やす!

 

今世の中がざわついている中、心の安定を保つのに大いに貢献してくれそうな予感。

 セロトニンを増やす生活を自分で意識的にしていこうと思います。

まずは朝散歩を続けていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

梅雨明けたのかな?

久しぶりの晴れ間 野菜の収穫状況

 

今日は何週間ぶり!?の晴天です。

せみの鳴き声が聞こえてきます。

 

雨が続き、庭の野菜たちの成長はあまりよくないですね。。。

特に、キュウリは葉っぱが黄色くなり、葉っぱがつんつるてん。

もう収穫できなそうです。

ナスも「ん・・・・大丈夫かな?あと何個収穫できるかな?」という感じです。

かぼちゃ、10本近く植えたけど結局1本しか生き残らず。

今一つだけ実をつけています。

 

 

いい感じで収穫できているのが

トマト とうもろこし 

特にトマト!一番収穫できています。

一般的にトマトはあまり水をあげてはいけないんですが

雨が多い今年でも沢山収穫できています。

 

トマトを手でもぎ取って食べれるのは家庭菜園の醍醐味です!

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                 今日の収穫

 

は苗を2本植え、今3つ実をつけています。

しばらく放置していて今日見に行ったらこんなに大きくなってました。

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植え始めの時、葉が黄色くなりもうダメかなと思ったんですが息を吹き返し、立派な実をつけてくれました。自然の生命力て凄いですね!

 

今からスイカ割するのが楽しみです!

 

これから本格的な夏がやっと来そうな予感!

短い夏を存分に楽しみたいと思います。

人生を振り返ってみる 国際結婚を経て 

人生山あり谷あり 国際結婚を経て

 

 

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 人生の折り返し地点に来た、ということで備忘録として書いてきた

「人生を振り返ってみた」の記事。

 平均寿命が85歳以上の日本人女性。

人生の半分が過ぎた。

 

20代の頃、30代ておばさんじゃ~んって思ってたら

30代になって気がついた、

20代の学生の頃と精神年齢は変わってないということを。

 

結婚して、子供も生まれて、もうちょっと落ち着くかと思ったんだけど

あまり成長していない自分がいる。

でも、確実に20代の自分と比べて自由気ままさはない。

それは多分、大切な家族ができたというのが大きな理由だ。

 

目次

 

 

 

 

結婚してみて・・・

 

25歳で留学し、27歳で日本に帰国するまでは割と順調に進んでいた自分の人生。

外国人とダンナと結婚したのが29歳。

結婚は相手の人生も背負う、って知らなかった。

外国人と結婚していることが日本ではペナルティをかされていると感じる時がある。

ビザの更新の問題から始まり、社会保険や健康保険のこと。

日本人と結婚すればきっと心配することのないことだろう。

 

 結婚が今まで積み上げてきた、というか辿ってきた人生を180度変えた。

2人で生きていくと決めたその日から、そして今でも

本当に落ち着きのない人生はまだ続いている。

それでも、いつも何か起こる日常に段々慣れてきている自分がいる。

 

例えば・・・

もし、明日ダンナが解雇されたら?

「え?そうなの?!じゃぁ、これからどうしよっか?」

って割と普通に受け入れられそうな自分がいる。

いつもギリギリで生きてきた感があるから

予期しないことに慣れすぎてしまった感じがある。

変化を嫌う人もいれば、変化がないとつまらない、という人もいる。

自分は落ち着きたいと思う反面、しばらくすると変化が恋しくなってくる。

これは自分の性分なのかもしれない。

 

でも子供ができた今、やっぱり地に足をつけてしっかり生きていきたい。

 

 

40歳を目の前にして思うこと

 

 40歳手前にして、つい最近気がついたことがある。

 

「世間の目を気にしたり、まわりと同じにしようとするからしんどいんだ。

自分は外国人と結婚した時点で、世間のレールから外れたのかもしれない。

だったら、違いを思いっきり楽しんだ方が人生数倍楽しいはず!」

 

その事に気がつくまで、だいぶかかった気がする。

それは、ず~っと外国人との結婚に反対していた両親の影響もあると思う。

何をするにもいつも事後報告だった。反対されるのが分かっていたから。

結婚して9年。結婚を認めてもらうまで、約6年かかった。

何にもなかった私達。

大反対から始まった外国人との結婚。

両親から「縁を切る!」と言われたこともある。

 

父親との関係 

 

 今、子供が2人できて、両親の家から30分程の田舎に暮らしている。

結婚当初、ぎくしゃくしていた父親との関係。

今ではことあるごとに父親が家に寄ってくれて、野菜やらお米などを届けてくれる。

 

自分のしたいことばっかりしてきて、自分が親になった今

「反対するのも当然だよね」と今では凄く親の気持ちがわかる。

親が子供に苦労させたくないのは当然。

でも、自分にしたいことがあるならそれは絶対やってみた方がいい。

例え、親に反対されても、もし失敗しても自分の責任だから、と受け入れられる。

親に反対されたからやめる、あの時やっておけばよかった。。。

挑戦しなかった後悔の方がず~っと引きずるのではないか?

 

小さな頃から父親が苦手だった私。何を話せばいいのかわからなかった。

子供が生まれてから父親との関係がかわった。

色んな話をする様になった。

 

時間が解決してくれることが沢山あることを知った。

心配をかけた分、これから父親が元気なうちにもっと親孝行したいと思う。

 

 

 40代~これからどう生きたい?

 20代 就職、留学、結婚 

30代 出産、転職 地方移住 

 

30代は色々悩んだ時期だったなぁと思う。外国人と結婚して日本社会での生き辛さを感じることが多かった。それは世間の目だったり、回りと合わせないけいないという

窮屈館が凄く自分の中にあったから。

’’合わせないと’’という自分と、合わせられない自分との葛藤だった様に思う。

 

だから40代は

自分の今までの「こうしなくちゃ」という概念を捨てて、自分に嘘をつかずに

生きていきたい。

違いを思いっきり楽しんで、その楽しい嬉しい気持ちを回りの人

シェアしていきたい。

                            

 

まとめ

 

ここまで、「人生を振り返ってみる」を読んで頂きありがとうございます。

今までの自分の生き方や、あの時こうだったなと振り返ることで

今の幸せを改めて感じたり、これからどう生きて、どう過ごしていきたいのか、自分なりに再確認することができました。

完全に自己満足のブログになってしまいましたが、何だかスッキリしました。

書きたいこと、思ってる事を書いてみる、という作業たまにするといいですね。

 

日々慌ただしく過ぎていきます。

自分のやってみたかったこと、行ってみたかった場所、会いたい人etc・・・・・

そんな思いをふと立ち止まって、やってみる、行ってみる、ということを意識的にしていけば少しずつ変化を重ねて、自分の行きたい方向に進んでいける様な気がしています。

 

今日は晴天。

そろそろ、梅雨があけるのでしょうか。

蝉の声も聞こえ、夏の足音がしてきました。

今年の夏はダンナがウーファーでお世話になった方に会いに行く予定です。

今から楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生を振り返ってみる 39歳手前の迷い

人生を振り返ってみる 39歳手前の迷い 

 

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目次

 

保育園入所後、次女発熱の日々

 

仕事と子育てに悶々とする日々が続いた、という話

 

保育園の洗礼を見事に受け、保育園、病院、仕事の日々が続いた。

週の半分は「今日も日中38度ありました。また家でも様子をみてあげて下さい」

と園の先生から言われていた。

「え、また熱があがったの?」

平熱も37前後位の時もあり、普段から平熱が少し高めの次女。

動いたり興奮して熱があがったのか、それとも風邪の前兆なのか?

判断ができず「休ませた方がいいのか、無理させてないか」

本人に聞いても、答えるわけもなく・・・・

 

子供が休む度にする職場への連絡が本当にストレスだった。

子供たちが2人共インフルエンザにかかった時は2週間休んだ。

月8日しか行けなかった月もある。

2週間後、出勤した時は職場の方に頭を下げてあやまった。

小さい子供をかかえて、会社という大きな組織で働く事に限界を感じていた。

 

見えないトンネルの中を歩いている様な気持ちになった。もんもんと過ごす日々に突入し、仕事と育児のバランスをとることの難しさを痛感した。

毎日、「パート、子供病気」と検索しては先輩ママさんがどうこの時期を乗り越えたのか調べに調べた。

 

でも結局、人は人。それぞれ環境も違えば、子供たちの抵抗力も違う。

熱を出さない子もいれば、毎週出している子もいる。子供も十人十色なのだ。

参考にはなったけど、結局決めるのは自分なんだ、と。

 

週5日で、土日もダンナは仕事だったので週末はほぼワンオペ育児。

自分も限界を感じていた。

3月に退職する旨を伝えた。

すると会社側からある提案が。

「勤務日数を減らして、もう少し休みやすい部署に異動しませんか」という様な内容だった。

 

保育園継続 

3月、コロナ渦真っ只中で、正直ダンナの仕事もどうなるかわからない

今辞めていいのだろうか?

本当に悩んだ。「もうちょっと状況が見えてから決断してもいいのではないか?」

若い頃の自分だったら、背負うものもない、たとえコロナの事があっても

スッパリ会社を辞めていただろう。

でも今は違う。守るものが増え、そう簡単に一度得たものを捨てる勇気が持てなくなった。

 

結局、6月から部署を移動して、勤務日数を減らしパートを継続している。

4月中旬~5月いっぱいまでダンナの仕事が休業子供たちも通園を自粛、ということで

子供たちの送り迎えがなかったぶん、週5日勤務にも耐えることができた。

 

今現在週3で勤務しているが、勤務日数を減らした分、出勤予定日は休めない、というこれまた違う重圧がのしかかってきた。

そして今週、しばらく落ち着いていた子供たちだったが

久ぶりに夏風邪をひき、会社を休むことに。

 

結局、そういうことなのだ。

子供は「いついつ熱でるからママこの日、休みとってね」なんていうシフトを出してはくれない。予告なしで熱やら風邪をひく。

 これに耐えて、「一生この会社で働きます!」というならこの時期を乗り越え頑張れるだろう。

自分は始めから会社に一生を捧げるつもりなどないのだ。

会社から退職するまでずっと働いてね、という重圧と

そのつもりのない私。全然ミスマッチングじゃないか。

 

移動した部署は一日中、ラベル貼りという単調な作業の繰り返し。

何かを貼る、という作業は鞄会社で働いていた時にも経験はしていたし

嫌いじゃない。ただ、形にならない物をひたすら貼り続けることがしんどいのだ。

何の苦行かと思うほど脳の思考がストップする。完全に自分はロボットだ。

もちろん、こういう仕事が合ってる人もいる。

でも自分はどうも向いていない。

石の上にも3年、という諺もあるが

「果たして自分はこれを続けた3年後の未来が見たいだろうか?」

 

子供が小さくて勤務条件を色々選べないのは分かっている。

それでも楽しいとか嬉しい、そういう感情をなくしてその場にいることが

果たして幸せか?

 

自分のいる環境ってかなり大切だと思う。

回りの環境から受ける影響って、自分が思ってるよりかなり大きい。

自分もその色に気が付かないうちに染まり、やがて本来の目標が消えてそれが心地よくなってきたりする。

そこで開き直って、違う道を選択するのも、もしかしたらいいのかもしれない。

でもそれが無理なら

例えば自分の目標やしたい暮らしがあるなら、そうなれる環境により近ずくことが大切だと思う。

 

お金のため?家族のため?でも自分が笑っていないと家族も幸せにはなれない。

 ダンナ「所詮、お金なんて紙きれだぜ、燃えてしまったらそれまで」

なんてシンプル。いや、ごもっとも。

 

 

 

 

流れにのってみる

  そしてこのタイミングでつい先日、社長と従業員の会議が行われ

会社が希望退職者を募る、とのこと。

たぶん、ここで自分の迷いに踏ん切りをつけるのがいいのだろう。

このタイミングを逃したら、いけない気がしてる。

先のことも考えないといけないけど、考えるとその場から抜け出せなくなる。

 

 

ターニングポイント

 

 人生にやってくる様々なタイミング。

わからない時はいくら考えても答えがみつからない。

もうそういう時は「どっちの道に進んだらワクワクするか?」で決めることにした。

家族ができて守るものが増え、そう簡単に一度得たものを捨てる勇気が持てなくなった

↑ そう書いたけど、今回の決断に関してはそれを捨ててみる事しよう。

 

人生の断捨離

いらないものを捨てて、欲しいものを手に入れるための場所を作ってあげよう。

欲しいものを探しにいき見つけたら、そして手に入りそうになったらすぐに

自分の鞄の中にしまえる様に。

 

40歳手前、もう人生の半分終わっちゃった!

 

 さぁ、これから後半戦に突入だ。

楽しいこといっぱいしたいなー(小学生みたい)

 

ふと、

社会人になって、昔よく聞いていた曲を思い出した

歌詞が泣けるし、勇気をもらう曲 凄くいい曲

 留学する前によく聞いていた曲

これ聞きながらボロボロ泣いてた記憶があるなぁ(涙)

 今聞いても、凄くいい、もう15年以上経っているのに。

 

とにかく歌詞が凄くいい

サヨナラCOLOR 

https://www.youtube.com/watch?v=1SaPgMReoSc

 

人生を振り返ってみる 2人育児 子連れ海外旅行

人生を振り返ってみる 2人育児 子連れ海外旅行

 

目次

 

 

2人目育児の辛さ

 

  次女出産後3カ月間が本当に大変だった。

夏直前に生まれた次女、まだ首が座らず外も暑くなってくる時期で 自由に出られない日々が続いた。

2カ月間実家にお世話にはなったが、正直もっと早く帰ってもよかった、と思う。

パパと会えないこと、たまに会えてもパパがすぐに帰ってしまい、よく泣いていた。

 

2カ月後、私達は自分たちの家に帰り、新しい家族が一人増えて新しいで生活をスタートさせた。

 

1歳9カ月差、というのもあるのだろう。

イヤイヤ期というのもあるのだろう。

そして、自分の気持ちをどう表現していいのかわからない、というのもあっただろう。

 

とにかく、大変だった記憶しかない。

一日どうやり過ごしていたのかよく覚えていない。

 

・階段から長女を突き落としそうになったこともある。

・押し入れに閉じ込めたこともある。

・好き嫌いの激しい長女、「○○いる」といって口にいれると吐き出し

泣き出す長女。「自分が食べたい!っていったんでしょ!」と口に無理やりいれたこともある。

・涼しくなってきた夕方、長女を散歩に誘うと「いきたくない」というので

家に置いて、次女と散歩に出かけたこともある。帰ると疲れたのか布団の上で寝ていることもあった。

・毎日、あと1年くらい顔を1みなくていい!と思っていた。

 

今振り返ると、育児ノイローゼにかかっていたのかもしれない、と思う。

子供虐待のニュースを見る度に、自分も他人事ではないと思っていた。

飛び越えてはいけない境界線、これだけはしてはいけない、とまだ自分を抑え込む余裕はあった。

ダンナが育児に積極的で、ダンナが帰ってきたら長女のお世話はすべてお願いしていた。

 

あの時の自分に言いたい

「大丈夫、泣いている目の前の子をただ抱きしめてあげればいいんだよ

泣いているその気持ちを受け止めてあげて」

 

受け止める自分の余裕をどう作ればよかったのか、その時は必死だから

わからなかった。

でも数々の私をイライラさせた長女の行動の裏には、長女なりの主張があったんだと今改めて思う。

 

 

初めての子連れ海外旅行

 

 長女2歳8カ月、次女10カ月の時、ダンナの家族に会いにダンナの家族が住むカリブ海マルティニーク島に行った。

子供が産まれて、初めての海外旅行。

次女が1歳になるまで待ったらいいんじゃないか、と思ったけど

ダンナの仕事が落ち着く4月に合わせて旅行の計画を立てた。

 

今思うとこの時、タイミングを逃さずに思い切ってダンナの家族に会いにいって本当によかったと思う。

 

日本~マルティニーク島 移動時間 2日

家を出てからマルティニーク島に着くまで何度バス、電車、飛行機にのったことか。

小さい子供を連れての移動は想像以上に大変だった。

 

 一番しんどかったこと

小さい子供、重いスーツケース、バックパックを抱えての移動だ。

抱っこ紐で次女を抱き、後ろのバックパックリュック、手にはスーツケース。

乗り換えの北京の空港では乗り換え時間が30分もなくて、重い荷物を抱えて

走った。

 

マルティニーク島に着いた瞬間、一気に緊張感が抜けたのを覚えている。

 

子供たちの2つのルーツ

 

子供たちはもう1つの自分の国をとても気にいったみたいだ。

子供に国境、人種という概念は全くない、

言葉が通じなくてもお友達になれる。

すっかりおばさんとも仲良しになり、

マルティニークの文化、食べ物、言葉、風景、人

目に入るすべての物事、聞こえるすべての音に子供たちは刺激を受けたはずだ。

 

マルティニーク島にきて、改めて感じたこと

それは子供たちには国の違う家族が2つある、ということだ。

ダンナの親戚に会い、初めてみる日本の血が半分入った子供たちを本当に暖かく迎えいれてくれた。

世界各地に住んでいるダンナの家族。

親戚一同が集まる機会が何年かに一度あるらしい。

コロナウィルスでいつ海外に出れるか分からない日々が続いているが

いつかまた必ず、子供たちをマルティニーク島に連れていってあげたい。

まだ小さいからわからないと思うけど、もう少し大きくなれば、

自分のもう1つのルーツについて、意識することになるし、興味を持ってほしいと思う。そして将来、2つのルーツを持っていることに誇りに思ってほしい、とマルティニークの家族に会って思った。

 

マルティニーク島

 

papaiyamango.hatenablog.com

 

 

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日本に帰国後・・・

長女、次女保育園に入所

 日本から帰国してすぐ、私は仕事探しを始めた。

マルティニーク島から帰国して2カ月半後、子供たちは保育園に入所。

長女3歳1カ月、次女1歳5カ月だった。

 

 

 

 

 

 

 

人生を振り返ってみる 37歳 2人目出産後の育児 

人生を振り返ってみる 37歳~ 2人目出産後の育児

 

 

次女出産後~の話。

 

長女が荒れ狂った、という話

 

2人目を産むと、上の子が赤ちゃん返りするというのはよく聞く話。

うちも例外ではなかった。

保育園に行けず、急に環境が変わった変化なのからか

1歳9カ月というイヤイヤ期だからなのか、長女が本当に酷かった。。。。。。

記憶がおいつかない位・・・

 

何が酷いかって・・・

 

とにかく、

 

泣く、叫ぶ、見るものすべて触る の連続

 

うとうとして寝てしまい、起きるとそうめんが一面にばらまかれていたり、

靴箱が全開で靴を全部出して、ハイヒール靴をはいていたり・・・・・・

次女が寝ているベビーベッドに物を投げつけたり。

 

「怒られたいのか!?」と思う行動ばかりして、本当にひどかった。

かまってほしかったのかな、と思ったけど授乳で夜眠れてなかった私の思考回路は

フリーズしていて、長女の行動に爆発寸前だった。

 

外に出れれば、娘のエネルギーも発散されるかもしれない。

 

うちは両親ともまだフルタイムで働いていたので、上の子のお世話を頼めず

産後2週間後から次女が寝ている間に散歩へ連れていった。

散歩の帰り道、お昼寝してくれることを願って・・・

 

今振り返ると、長女の気持ちもわかるし、もっとこうしてあげればよかった、と思いうことは沢山あるし、長女に悪いことをしたと思うこともある。

「あの時はごめんね」という気持ちをちゃんといつか伝えたい、とこのブログを書いて思った。

 

上と下の子の歳の差が2歳位だと、上の子がイヤイヤ期真っ最中で2歳差は本当に

大変。

3歳離れていると上の子が少しお利巧になって、楽なのかな。

今は4歳と2歳になり、歳が近い分最近よく一緒に遊ぶ様になった。

 

 

 姉とのけんか

 

 実は姉の子と私の次女は17時間差で生まれた。

私も姉も里帰り出産で、実家にお世話になっていたので

母は大変だったと思う。

 

姉の変化はいつ頃だったのか、はっきり覚えていない。

おそらく、産後うつ だったのだろう。

 

ほぼ同時に実家に戻ってきた私と姉。

始めは、赤ちゃんのお世話に必要なものすべてを共有していた。

寝る場所も日中過ごす場所も同室だった。

何がきっかけだったかは分からないが、以上に独占欲が強くなっていき、

肌ざわりのいいタオルはすべて自分の子に使い、借りていた赤ちゃんの肌着も

貸してくれなくなった。

姉は2階で過ごす様になった。

食事も私とは食べたくないらしく2階で食べていた。

母をこっそり上に呼びつけて、「あぁだ、こぅだ」いっているのを聞いたりもした。

長女の行動に「しつけがなってない」と言われたこともあった。

 

ちょっと異常!?と思う行動の数々。

被害妄想?!と思う事が何度もあった。

 

 

決局、姉が戻る日までに関係は修復しなかった。

せっかく、お互い子供が産まれてハッピーなのにこのまま

関係が悪くなるのは嫌だと思った私は姉にメッセージを送った。

姉もだいぶ落ち着いた様で返ってきた返信も

「仲直りしよう」という内容の分だった。

 

結婚、出産と人生の一大イベントをほぼ同時期に経験し

状況を受け入れられなかったのかもしれない。

 

 今振り返ってみても、何がそこまで姉を追い詰めたのか??

いつか、もうちょっと歳をとったら姉に聞いてみたいと思う。

 

その後、

次女が1歳5カ月で保育園に入るまで、家庭保育が続いた。

                       

 

 

人生を振り返ってみる 36歳 2人目出産

人生を振り返ってみる 36歳 2人目出産

 

 

36歳 ダンナの仕事探し 2人目出産 

 

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目次

 

 

 

ダンナの仕事探し

 

家族で地方に移住(Uターン)したのが3月で、まだ雪が残る寒い時期だった。

引っ越し先の荷物を片ずけ、住める状態になるまでしばらく実家にお世話になった。

まだ車がなかったし、妊婦検診に通うのが大変だということもあった。

 

3月に引っ越しし、5月中旬に出産予定だったので、できたら私の出産までにダンナの仕事をみつけたかった。

とりあえず家のかたずけは後にし、ダンナと一緒にハローワークに通った。

とりあえずホテルの仕事に応募できそうだったので、面接の予約をとった。

外国人と結婚すると、日本語がペラペラなら別として、仕事の面接にも付き添わないといけない。

そしてもちろん、履歴書も私が書いた。

むしろ、私がダンナの代わりに面接している様なもの。

 

実は大きいお腹でダンナの面接をしたのはこれで2回目。長女がお腹にいる時も

私がダンナの面接に付き添った。

大きくなってきたお腹をなんとなく隠してた記憶がある。

 

病院への付き添い、勤務先との連絡も自分がする。

ある意味、マネージャーだ。

 

ダンナ面接に受かる

 

面接が通り、何とかダンナの仕事が見つかった。

実は前々の会社を退職勧告という名のリストラにあい、次に務めた仕事が

ホテルのハウスキーパー

このハウスキーパーでの経験が役にたったのだろう。

リストラにあわなかったら、ホテルで働くこともなかったと思うし、

人生、どんな巡りあわせがあるかわからないから

今の現状だけをみて、落胆してはいけないと思った。

 

長女1歳半 環境の変化

 

今まで毎日通っていた保育園。本当に毎日楽しそうに通っていた。

急に環境が変わり、保育園のお友達、先生にも会えない。

「まだ1歳半だからすぐに環境に慣れるでしょ」と少したかをくぐっていた。

長女は思ったより環境の変化に敏感で、2人目が産まれて3歳で保育園に入るまで、環境の変化の影響は続いていた様に思う。

 

ダンナの仕事が決まったので、私が出産するまで長女は実家で見ることになった。

長女はエネルギーをうまく発散できず、お昼寝もしない。

 

産後2カ月間だけ、保育園で預かってもらえないか相談してみた。

 

 

長女、保育園入園をやんわりと断られる

 

今住んでいる村の保育園の入園条件のなかに

’’産前産後の2カ月間は預けられる’’という内容のことが保育園のしおりに書いてあった。

保育園の園長先生と面談したが回答は ’

「お父さんが送り迎え、無理じゃないですかね」

 

<断られた理由は以下のとおり(予想)>

 ・移住してきたばかり

 ・日本人であるママが村に不在であること

 ・外国人であること

 

恐らく、これらの理由で保育園の入園は断られたのだろう。

まぁ、断られるのもわかる様な気がする。

えたいの知れない宇宙人くらいに思われてたのかもしれない。

 

保育園入園はあきらめ、実家でみることにした。

そして、長女は出産後にダンナにみてもらうことにした。

 

2人目出産 産後

 

長女の出産の時、父親とはまだ微妙な関係だったのでダンナは私の実家に泊まらず

ゲストハウスで私の出産を待ってた。

2人目は私の実家で出産を待つことができた。

長女が生まれたことで、父親との距離がぐっとちじまった様な気がする。

 

2人目の出産は、本当に感動した。

1人目は促進剤を使っての出産で、自然陣痛がこなかった。

陣痛がきたと思ったら分娩室に入って、5分~10分位で生まれた。

出産の痛みとかを感じる余裕もなくて

正直産んだ実感があまりなかった。

 

2人目も安産だった。

自然に陣痛がきて、産まれるまで今起きている状況を把握できていた気がする。

痛いという感覚もしっかりあって、産まれた瞬間何とも言えなくて涙がでそうになった。

ダンナも泣きそうになっていた。

 

2人目は私達にとって「贈り物」という感覚があった。

1人目がなかなかできなかったというのもあるけど、今までの色々なことが

ぐるぐる頭を回って、色々な感情がうずまいた。

 

本当に一歩一歩だけど、家族の形を築いていってる感覚を感じた。

 

一週間で退院し、2カ月実家でお世話になることになっていた。

この時の長女が本当に荒れて、想像をはるかに超えて大変だったのだ。

 

                               続・・・・・