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人生を振り返ってみる 20代


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人生を振りかえってみる 20代
 
 

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数日前、30代最後の歳を迎えた。
このブログをやってなかったら、今までの人生を振り返る事もなく、書き留めることもなく過ぎていたと思う。
 
人の人生は十人十色というけれど、
20代、初めて社会人になり、留学し、結婚をした。
30代、転職×2回、出産、地方移住を経験した。
 自分にもそれなりに色々あった様に思う。
 
 とにかく36歳で地方に移住するまで引っ越し、転職の人生だった。
引っ越しは10本の指×2回位じゃないと足りないかもしれない。
自分の前世は遊牧民じゃないかと思っていた。
 
 人生の折り返し地点、40歳を迎える前に今一度もう戻ってくる事のない
20代~30代を振り返ってみたくなった。
(完全に備忘録になるので、興味のない方はどうぞ無視して下さい)
 
目次
 
 

22歳 社会人になる

 
何か作る仕事に携わりたくて、新入社員として入った会社は鞄製造の会社。
鞄を作ることは楽しかった。
職人といわれる人たちの仕事を目の前に、手仕事の凄さを感じた。
 
新入社員で入った同期は皆、美大卒の面白い人たちだった。
新入社員時代に感じる、会社という組織の一部になる事の生き苦しさを感じていた。
同時期に新入社員で入った連帯感みたいなものが生まれ、運命共同体の様な感覚が生まれて、今でも同期の存在は大きかったなと思っている。
そして今でもたまに連絡を取り合っている。
同期の一人に中学校、大学が同じ友人Mちゃんがいる。
何の偶然か同じ会社に入る事になり、彼女とはフランス留学前1年間ルームシェアをしていた。
彼女の存在は本当に大きかった。
地元が同じなので、Mちゃんが帰省した時は連絡を取り合い、今でも年に数回会っている。
 
なんだかんだで楽しかった新入社員時代。
それでも3年働いてフランスに行く、と決めてたので未練なく会社を辞めてフランスに留学。

 

25歳 フランスに留学

 外国で暮らしていくことのつらさを感じる事もあったけど、
出会えた人々、見て感じた物事は日本にいたら絶対に手に入らないものだったと思う。
 
日本の常識は世界では通じない。
当たり前だったことは当たり前じゃない。
日本は日本という名のテーマパークだと思った。
 
日本という国を外から見ることができた本当にとても貴重な経験だった。
 
 

27歳 今のダンナと出会う

 ダンナに出会うまでは本気でフランスで働きたいと思っていた。

でも同時にこの人を幸せにしてあげたい、と思う様になり結婚の約束をした。
(どうやら後でダンナから聞くと、あの時のそれが結婚の約束だったらしい(笑))
 

28歳 日本に帰国

ダンナとは「日本で一緒に暮らしたいね」と話しつつも私のビザが切れ、私は一足先に日本に帰国。

私だけ日本に帰国したはいいけど、当時30歳を過ぎていたダンナはワーキングホリデーのビザもとれない。
20年程暮らしたフランスからマルティニーク島に完全帰国し無職で、貯金も0で 
 学生ビザの権利を得るための語学学校に払うお金もなかった。
 
結婚ビザを得るのが一番現実的な方法だったけど、それはしたくなった。
まずは自分で日本で自立した生活をしてほしかったから。
そうでないと、結婚してもすべて私に頼ることになると思ったから。
 
ダンナが日本に来れる手段を考えても答えは出ず
職人になりたかった私の人生の予定も大きく狂った。
 
もとをいえば、結婚にすら全然興味がなかったし
もっといえば異性にもほとんど興味がなかった。
職人になりたかった私は自分の好きな道を極めて生きていけたら幸せと思っていた。
 
帰国後、私は外国人のダンナと暮らしていける道を探し続けた。
(この時からダンナと田舎で暮らしたいと思い始めるようになっていた)
 
そんな中、ダンナから一本の電話が鳴った・・・・・・
 
 
「今シャルルドゴール空港にいるから、今から日本にいくね」
 
「 Qoui!!?? 
(なに!!!???)
 
 「聞いてないよ~!!」
 
この一本の電話が私のその後の人生を大きく変える事になっていく。
 
                               続く・・・